《プロローグ》上京物語


あたくし、十時直子。

独身。

27歳。

シナリオライター志望。

大阪生まれの大阪育ち。コテコテの関西人で、ええダシ出てます。

2011年6月9日。これがあたしの記念日になる日。

梅雨のど真ん中。でも幸いその日は曇りだった。

雨女だけど、日ごろの行いが良かったのだろう。今日は一滴の雨にも打たれることなく順調にことが進みそうだ。

 

まず東京についたあたしは不動産屋に寄って、契約内容の再確認をした。難しい言葉がいっぱいでてきたけど、理解したふりしてうなずく。

担当のお兄さんが「押して」というところにハンコを押す。

従順にしているとお兄さんは私の新居のカギを、奥の部屋から持ってきてくれた。

チャリンチャリンと音が近づいてくる。

金属のわっかで束ねられている二つの銀色のカギが目の前に置かれる。

 

これがあたしのカギ。

……カギをもらうってちょっとドキドキする。

このカギが、あたしの未知の世界の扉を開けてくれるのだ。

 

 

実は、あたくし人生27年間ずっと実家暮らし。5人の家族が暮らす堺市のおうちに居座っていた。今回の上京は、一人暮らしデビュー戦となる。

 

正直に言う。今回の上京は楽しみで仕方なかった。

シナリオライターになろうと思い上京を決めてから、毎日東京暮らしのことを考えていた。

どこに住もう?

どんなバイトをしよう?

ネットで不動産情報を見て、住めもしない高級マンションを見てうっとり。

アロマとか焚いてお洒落な部屋にしたいなー。

可愛いカフェとか見つけたいなー。

行きつけのバーで、バー友とか作りたいなー。

……東京生活への期待度は半端なかった。

当時の愛読書は「ひとり暮らしをとことん楽しむ!(雑誌)」と「ニッセン」のカタログ。大阪の住み慣れた小汚い部屋で、雑誌を広げてワクワクする毎日。

お部屋はレトロモダンな落ち着く部屋にしよう。

できたらソファーを置きたい。

デスクも必要だ。

タコパ(たこやきパーティー)ができるようなテーブルも必要だ。

大阪から○○ちゃんと○○ちゃんが来た時のために、寝るスペースも必要だ!

いろいろ必要なものを考えていると、どうもものすごく広い部屋に住む前提となっていった。

休みの日になると、彼氏という相方さんを連れてヨドバシカメラやフランフランに偵察に行きまくった。あたしは可愛い食器を手にとっては無邪気にはしゃぎ、東京ひとり(・・・)暮らしを思い描いてはうっとりしていた。これから遠距離恋愛になるっていうのに、相方さんは複雑な心境だったに違いない。

 

 

そんな〝計画〟は、ただの〝妄想〟だったと、分かるのは東京についてからだった。

 

 

あたしが初めて住む町は、杉並区の高円寺。なぜこの街に決めたのかはまた別の機会に書くとしよう。長くなるから。

小さなマンションの2階のワンルーム。駅から3分(走れば1.5分!)の駅チカ物件で、家賃6万5千円。なんせ東京も一人暮らしも初めてなもんですから、これが安いのか高いのか分からない。ただ、あたしの収入(見込み)からすると、高いのは確実。

 

もらったカギで部屋に入った時の第一声は、

「狭っ」

だった。もちろん一度下見には来ているが、あれから〝妄想〟が爆走しすぎているせいか、あたしの契約した部屋は、頭の中で12畳くらいある広いワンルームに変貌していた。でも目の前にあるのは6畳の小さな部屋。茫然としながらあたしは部屋を見渡した。まあ、見渡すほどもないけど、見渡してみた。

これじゃあ、ソファーも、タコパもできない。友達3人来ても寝る場所がない……

あたしが悲しみに暮れている間に、引っ越しを手伝いにきてくれていた相方さんはテキパキと車から荷物を運び出してくれた。部屋はあっという間に段ボールに占拠されていく。部屋はさっきよりもどんどん狭くなっていった。

 

それから3日ほど相方さんは滞在して、あたしの一人暮らしの基盤を作っていってくれた。テレビをつなぎ、洗濯機を設置し、黙々と働いてくれた。感謝。

家具や生活雑貨は一緒に買出しに行った。これは結構楽しかった。貯金という名の埋蔵金が一気になくなっていくが、そこは目をつぶる。上京はお金がかかることだ。仕方がない。

あたしは3日後に控えた小説の締切のことを忘れて、楽しいヒトトキを過ごした。

 

 

しかし、覚悟はしていたが、ここは東京だ。一歩部屋を出ると東京人がうごめいている。

あたしも相方さんも、コテコテの関西人。

「せやなぁ~」「アホちゃう~?」「めっちゃ好っきゃねん」「あんた、おもろいやん」が公用語。2人とも上記の言葉を、何の違和感もなくきれいな発音で話すことができる。

 

身体を休めようと入った喫茶店でのことだ。

隣の席の若い男女の会話に、ここは東京なんだと知らしめられた。

 

「マジで、ウケるじゃん」

 

……これが噂の関東弁か……。

あたしと相方さんは弾んでいた会話を一時中断させ、無言でコーヒーをすすりながら、その男女の会話を盗み聞きした。

 

「ねぇ、○○クンって、いつも何時に寝てるのぉー?」と何故かテンションが高い東京女。

「12時くらいかなぁー」と大人しめの東京男。

「うっそぉー早いよぉそれって」

「そう?普通じゃん?」

「寝る前って、何してるのぉ」

「別になにもしてないよぉ」

 

……どうでもええわ!と思わず心の中で突っ込むあたし。

大阪弁で今の会話を訳せばこうなる。

 

「なぁなぁ、○○ヤンって(あだ名)何時に寝てんの?」

「12時くらいちゃう?」

「マジで!早すぎるやん、あんたジジィか?」

「ジジィちゃうわ。時間になると勝手に眠たくなるねん」

「で、朝5時くらいに勝手に目ぇ覚めるんやろ」

「そうそう。朝日が昇るころに目が覚める……って、なんでやねん。そんなことないわ。ジジィ扱いすんなって!」

 

 

……まぁ、大阪人ならこれくらいの掛け合いはできるはず。

 

それはさておき、〝関東弁〟という強烈なアッパーを食らわされ、あたしたちは閉口した。

女ならまだしも、男までもが「普通じゃん?」と話している。

なんか男らしくないよ。なよなよしてる印象。「普通さっ!」とか「普通だろうがっ!」とかそういう男らしい感じに話せないのか?……ん?それもちょっと暑苦しくて嫌だな。

とにかく関東弁は聞き慣れないので、いつもドキッとする。ドラマや映画で聞き慣れている標準語とはまた違う気がする。

 

 

しかし、関東弁をバカにしたくせに、関西弁をどうどうと喋らない自分もいた。電車の中で、

「なんか電車めっちゃ混んでるやん」

と言うと、周りの乗客がギロリとこちらを向いた。

「あ、大阪の人じゃん」と彼らは思っているのだろう。

……なんか悔しい。舐められたら困る。

 

大阪から出てきた人は、『舐められたらアカン』という精神を少なからず持っていると思う。どうも昔から大阪人は、大都会・東京と自分たちを比べる傾向にあるのだ。

『大阪だって都会なんや』

『いくら東京が首都や、ゆーたかて、大阪も負けてへんでぇ』

『東京にあって、大阪にないもん、そんなもんあらへん』

(※大阪を愛するが故の主張だと、笑っていただきたい)

じゃあ、誇りを持って大阪弁を喋べろよ!と突っ込まれそうだが、そうそうすることもできない。大阪人は本拠地を離れると弱いのだ。阪神タイガースと一緒だ。『大阪負けてへんで』というのはあくまで地元大阪にいるときの主張であり、東京に来て東京人にのまれ東京のすごさを目の当たりにすると、委縮してしまう。そして心の片隅に「舐められたらアカン」という片意地だけが残るのだ。

 

大阪弁は控えよう、とあたしは心の中で決めた。かといって大阪人の相方さんの前で「電車、混んでるじゃん」とは恥ずかしくて言えない。

あたしは大阪弁とも関東弁とも言えない言葉でしゃべった。

「次のぉ、、、エキで、降りる、、、ヨォー」

文章ではイントネーションが伝わらないのが残念。

すると相方さんが答えた。

「うん、次の、、、エキねー。おっけー」

……なんと!相方さんもまた、変な言葉を喋っている!「あんた変やで!」と心の中で突っ込みつつ、

「お、降りるヨォー」

と、標準語モドキを発するあたし。

相方さんは何も言わなかったけど、きっと「……なんや、こいつ。関西弁を封じてやがる」と思っていたに違いない。

カップルといえど、実にぎこちない時間だった。

 

 

そして、ついに相方さんが帰って行った。

マンションの前でお見送りをする。どんどん小さくなっていく相方さんの車。運転席で相方さんが何度もこちらを振り返り、手をふってくれたのを今でも覚えている。運転しながらは危ないな、とあたしは思いつつも涙があふれてきた。

あたしは、東京という右も左もわからない土地で一人で生きていくのだ。

遠距離恋愛となるさみしさと、これから一人という不安で、次から次へと涙があふれる。

静かで狭い部屋。家具はまだベッドと机しかない。殺風景な部屋がまた淋しさを誘う。

やっぱり一人って淋しいんだな。

あたしこれから一人で大丈夫かな?

生きていけるかな……?

そんな可哀そうな自分に浸っていると、さらに涙はあふれてきた。

 

……しかし!そんな感傷に浸っている暇はなかった。忘れていたけど、今日は小説の締切日。「99のなみだ」新刊の原稿を書かなくては……!

先ほど思いがけず泣いたおかげで、瞼が重い。

なんやめっちゃ眠い……。

そして引っ越しの片づけで疲れ果てた身体は、休息を求めていた。

部屋を見渡す。見渡すほど広くないけど、見渡す!ベッドか机かしかない。つまり、寝るか書くか!

あたしは自分にムチを打って、ベッドという誘惑と闘いながら机にしがみつき、夜を明かした。

東京一人暮らし一日目にして、このありさま。この先が思いやられる。