はじめての東京という地に訪れた時から、ずっと気になっていた店がある。
「喫茶室 ルノアール」
新宿でも渋谷でも吉祥寺でも銀座でも……どこの街にでもあるルノアール。しかも、大体なんかのビルの2階に入っている。
そして店の前には大きな看板。
珍しい白ベースの看板。ボタッとした筆文字で、大きく黒で「ルノアール」と書かれている。これがかなり目立つのだ。
なんだろ……この無意味なほどに大きなカタカナ文字。威圧感を感じ、つい街中でも見つけてしまう。それに、白地に黒文字というシンプルさが、ごちゃごちゃした繁華街でかえって目立つのだろう。
どうやらこの「ルノアール」という喫茶店、東京人には馴染みの店らしい。調べてみたところ関東地区だけの出店で(関西人のあたしが知る由もない)その数は100店舗以上もあるらしい! すごっ!どおりでよく見かけるわけだ。
名前が「ルノアール」なのだが、これはやはり印象派の画家「ルノワール」から来ているのだろうか。ということは……店内は、フランスの貴族たちが木漏れ日の下で優雅にお茶してる感じ……なのだろうか。
ということで「ルノアール」の実態を確かめるべく、調査しに行ってみた。
実はあたしの住む街、高円寺にも「喫茶室 ルノアール」がある。
駅前徒歩30秒ほどのところ。とあるビルの二階。なかなかいい立地にあって、引っ越し当初から気になっていた。
どうやら高価な店らしいので、お財布を分厚くするため、ATMに寄ってからの入店。
胸のドキドキを押さえながら「ルノアール」の門をくぐった。
「いらっしゃいませ」と礼儀正しそうな男性スタッフが迎えてくれる。
お洒落……とは言えないが綺麗な店内。昭和・モダン(?)な感じ。
これはまさしく〝喫茶店〟の匂いがする。〝カフェ〟ではなく〝喫茶店〟!
大阪で言う「喫茶館 英國屋」みたいなもん、とあたしは勝手に位置付けた。(余談だが「喫茶館 英國屋」は関西が中心のお店だとこっちに来て知った。大阪ではあんなにいっぱいあるのに、東京ではほとんど見かけない。何件かはあるらしい)
店員さんがお冷とおしぼりを持ってきてくれる。なんとこのおしぼり、温かい上にビニールに包まれており、なおかつおしぼり置きに乗っている!おしぼりだけで、なんかコストがかかってるじゃない!
どんだけ高級やねん、とドキドキしながらメニューを広げた。
……噂に聞いてはいたが、値段はやや高め。普通のコーヒーが510円もする。美味しいコーヒーが100円で飲めるこの時代に一杯500円以上なんて……これはもう大阪人としては、あのセリフが口から出てしまう。
「場所代、えらい高いなぁ~」
しかし、せっかく来たのに普通のコーヒーじゃつまらない。「ルノアール」っぽい飲み物を頼もうと思い「芳醇黒蜜カフェオーレ ¥690」というのを注文してみた。690円!おお、結構ええ値段するやないの。
改めて店内を見渡してみる。スタバやドトールに比べ、年齢層がかなり高い。40代~60代の男性客ばっかり。この温かいおしぼりは顔をワシワシ拭くためにあるのだな、とこの時思った。
そしておひとり様がやたら多い。パソコンを持ち込み仕事していたり、新聞を読んでいたり。ちなみにコンセントを自由に使っていいらしくパソコンの電源は取り放題。新聞も入り口のところにおいてあるので勝手に読んでいいらしい。
井戸端会議をするようなおばちゃんも、ギャーギャー騒ぐ学生もおらず、店内はとても静かだ。ジャズの音楽が優雅に流れているのが聞こえてきた。
エッセイ用に店内の様子をメモし、メニューをこっそり写メしていると「芳醇黒蜜カフェオーレ ¥690」がやってきた。
お、なんだかお上品な器に入っているぞ!(訳:量が少ない)
ひとくち飲む。……美味しい。美味しいのだが……そういえばコーヒーには砂糖を入れない派のあたし。口の中が甘ったるくなってしまった。なんでこんな甘い飲み物を頼んだんだろう、と数分前の自分を恨んだ。
とはいえ電源を借りられるし、席と席の間はゆっくりしてるし、仕事をするにはもってこいの環境。あたしはみんなに倣いパソコンを広げた。
滞在30分ごろ。この時間になると「ルノアール」だけのオリジナルサービス、噂に聞いていたアレが出てきた。
……そう
〝熱いお茶〟!
実はお店のことを事前調査していたあたし。「ルノアール」でネット検索していると、ヤフーの知恵袋の、とある質問が目に留まった。
「ルノアールに初めて行ったのですが、お茶を出されました。帰れと言う合図ですか?」
それに対してルノアールバイト経験者と名乗る回答者が丁寧に答えていた。
「もう少しゆっくりして行ってくださいね、という意味ですよ」と。
おかげで貴重な前知識を得たあたし。突然の熱いお茶提供にも動じることなく「ありがとう」と余裕の笑みを店員に返すことが出来た。
「ルノアール」に滞在して、1時間ほどが経った。
その日は4月だと言うのに真冬並みの気温で、北風が冷たく外は雨まで降っていた。
入り口付近の席だからだろうか、窓のそばだからだろうか。冷え性のあたしは寒くて寒くてたまらなくなってきた。コートを羽織っても、寒さは和らがない。どうしよう。
しかし、ここは天下のルノアールだ、何か防寒具を貸してくれるだろう……と、思い切って店員さんに声を掛けてみた。
「寒いんですが……ひざ掛けとかありますか?」
すると背の高い女性店員が言った。
「申し訳ございません、そう言ったものを用意してなくて……」
ペコリと一礼、早々にキッチンの方に行ってしまった。
その後すぐにキッチンの方から、さっきの店員の声が聞こえてきた。
「なんか、さっきお客さんに寒いって言われてぇ―……」
おいおいおーい、陰口か。なんか感じ悪いぞ。
裏で悪口を言われ、ムスッとしたあたし。もう店を出てやる、と支度を始めたその時、
さっきの店員さんが小走りで戻ってきた。
「あの……熱めに入れたお茶と、熱いおしぼりです。これでどうぞ温まってください。あと、窓から冷気がきてると思うんで、ロールカーテン下しますね」
(……じーーーん……)
きた、優しさが胸に染みる音。
さっきの裏での会話は、陰口でもなんでもなかった。ただの勘違い。熱々のお茶を入れてくれるよう、キッチンの人にお願いしてくれてただけだった……。
わがままを言うあたしの為に、一生懸命にカーテンを下してくれる店員さん。
カーテンのおかげでなんだか背中のひんやりがなくなり、暖かくなってきた。そして熱いお茶も、手に取った熱いおしぼりもあたしの身体を温めてくれた。
(……じーーーん……)
あったかいよ、色んな意味で。
店内はずっと満席。お客さんは入れ替わり立ち替わりやってきた。それもなんだか頷けた。だって居心地がいいのだもの。スタッフの対応がとってもいいのだもの。
これはお値段が高くても納得だ。
嗚呼、ハマりそうだな、ルノアール。