個人商店でも、スーパーでも、コンビニでも、そうだ。
東京という土地で買い物をするたびに小さな違和感を感じていた。
東京の店員さんは、なんかガメツくない。
「売ったろ」っていう意識が少ないと思う。
きっとこういうことだ。東京はとにかく人口が多い、だから別に「売ったろ」って頑張らんでも物は売れるんだろう。
対する大阪は、とにかくあきんど(商人)の町だ。「売ったろ」根性、半端ない。
日本一長い商店街として有名な、天神橋筋商店街。ここは、とにかく、すごい。
「今から10分間限定のタイムセール!時計どれでも1000円!」
とメガホン片手に叫んでいるおっちゃん。気合十分。叫びすぎて声はガラガラ。安くてエエもんが大好きな大阪のおばちゃん達は、時計の置かれたワゴンにたかっていた。
30分後に、同じ店の前を通りかかる。すると聞こえてくる、あのガラガラ声。
「今から10分間のタイムセール!持って行ってや、時計どれでも1000円やで!」
10分のタイムセールが終わると、次の10分のタイムセールが開催される仕組みなのだ。つまり、ずっとやってるのよ、タイムセール。
これと同じシステムで「閉店セール」というのもある。閉店セールって張り紙がされてるけど、一か月後に行ってもまだ「閉店セール」やってる。一年後に行ってもまだ「閉店セール」をやっている。そう、いつまで経っても閉店しない。お店の人に文句でも言えば、こう返ってくるはず。「うちは毎日閉店してますから」そして翌日の朝、また「開店」する、そういうシステム。
事例を挙げればキリがないけど、とにかく大阪は「売る」ことにガメツイ。買う方もそれを楽しみなのだ。
店員さんとの会話して、そのトークがオモシロかったら買っちゃったりする。それが大阪の買いもん、なのだ。
で、東京。
どうも、店員さんはみんな「売る」ことに興味がないように思える。
ただ、来た客をさばいてお金をいただく。そんな商売の仕方をしているように思うのだ。
一例として、プリンターの故障で薬局に行った時の話をしよう。
「プリンターで薬局……は?」と思われた方のために、まずは回りくどい説明から始めなければならない。
あたしは今回の上京で、大阪の実家からプリンターを持ってきた。
型は古いけど、スキャナ、コピーなんかが付いてるなかなかの優れもの。こやつはイロイロできるだけあって結構でかい。狭いワンルームの部屋の中でかなりの存在感を出して居座っている。邪魔だけど、まあ仕方ない。文章を書く仕事をしていると、プリンターは相棒みたいなものなのだ。
上京して1週間たったころ、相棒がついに東京デビューを果たす時が来た。
東京用の名刺印刷、これが彼に与えられた最初の指令である。
名刺作り専用のソフトでデザインを終えたあたし。パソコンと相棒をUSBでつなぎ、画面上の【印刷】をクリック。すると、相棒はウィンウィンとうなりを上げた後、勢いよくガシガシ、ガシガシ、と動き始めた。ちなみにガシガシ言ってるがインクジェットプリンターである。
しかし相方の東京初仕事は、ずさんであった。あたしは印刷された名刺を見て「なんやこれ!」と叫ぶ。あたしがデザインをした名刺はドット柄のガーリーなもの。しかし、相棒が吐き出した名刺はなぜかボーダーなのだ。
……なぜに、しましまっ?!
気を取り直して、もう一度【印刷】を押しみる。しかし結果はまた、しましま。
……ここで、事態を理解した。詰まったか、と。
インクジェットプリンターは、しょっちゅう使っていないとヘッドの部分のインクが乾き、カチカチになってしまう。大阪からの長旅と、しばらくモノクロ印刷しかさせていなかったせいか、相棒のカラーインクは目詰まりをしていた。でもここで慌てることもない。クリーニングってやつをすればいい。
【クリーニング】という指令をだすと、相方は、ウィーン、キー、キィー、ドーーと音を立てて自らを綺麗にしていく。もう一度、名刺を印刷してみる。結果は……しましまだ!
まだ希望は捨てちゃいけない【強力クリーニング】というボタンがある!
強力クリーニングを指示すると「インクを大量に消費しますがよろしいですか」というメッセージが出た。一瞬たじろぐあたし。が、こちらも結構切羽詰っている。「はい」を選択。すると相棒は、先ほどのウィーン、キー、キィー、ドーーを3回くらい繰り返し、長い時間をかけて自らを洗浄していった。おそらくものすごい量のインクを消費しているんだろう、シアン(青色のインク)が途中無くなったので、新品を買ってきて下した。
これでもういけるだろう、と思って名刺印刷を再開。
しかし……ダメだった。
何度やっても、名刺がしましまになる。くそ、くそぉ!あんなにインクを消費したのに!新品のシアンも買ってきたのに!
あと残された手段は……解剖、か。
機械オンチのあたし。やったことないし、素人がやってはいけない領域だと分かっている。良い子はマネしないでっていう領域だ。下手すりゃ壊れて、プリンターはお陀仏になる。
……でも最近のあたしは悪い子だ!その上に、急いでた!せっぱつまっていた!明日……絶対に名刺が必要だ!
相棒の死を覚悟し、あたしは解体に必要な材料をネットで調べた。
〝無水エタノール〟もしくは〝イソプロピルアルコール〟
これでヘッドの部分を洗え、とどこかの裏サイトに書いてあった。薬局・ドラッグストアに売ってるらしい。よっしゃ、私が住む高円寺は薬局がいっぱいある。どっかには売ってるやろう。
(お待たせしました。これでやっと、まわりくどい説明は終了です)
先に状況説明しておくと、この時のあたし、結構焦っていた。さっきから何度も言ってるけど、明日までに名刺を印刷しなくちゃいけない。やばい。必死。崖っぷち。藁をも掴む気持ちで、薬局に向かっている。
それを理解したうえでこの先、読み進めていただきたい。
まず、一件目。Tドラッグ。ここは家から一番近いのでよく行く。
この薬局でティッシュや洗剤は買ったことがあるが、無水エタノールなんてものは見たことがない。どんな容器にはいっているのかもさっぱり見当つかない。
中年の男性店員を捕まえて聞く。
「無水エタノール、もしくはイソプロプロピルアルコールはありますか」
「それは無いですけど……」と言いつつ薬品が並べられた棚の前に連れて行ってくれた。よくわからないカタカナの液体たち。ええっと、無水エタノールもイソプロピルアルコールもないんやんね。で、でもここに連れてこられたということは、代わりなる液体はあるってこと……?
振り返ると店員さんは、いない。
え、連れてきて、放置ですか!
……ちょっとは相談に乗ってくれたっていいのに!「何に使うんですか?」って聞いてくれてもいいのに!せめて、イソプロピルとか変な薬品を手に入れようとしている、この素人くさいオンナを怪しむくらいはして欲しかった。
悲しくなって、Tドラッグを出る。
二件目。Sドラッグ。ここは駅から近くて安いので、いつも大勢のお客でにぎわっている。レジにはいつもお客さんの列。店員さんもみんな忙しそう。あたしは商品補充をしている割と暇そうな男性店員に声を掛ける。しかし、振り返った彼は見るからに新人のバイト君。案の定、なんとかエタノールもイソプロピルなんとかって名前も覚えられずに、先輩薬剤師に応援を求めに行った。先輩薬剤師、忙しそうにレジをこなしながら、なんかバイト君に言っている。
「すみません、ないです……」
戻ってきたバイト君は、すまなさそうに言った。うーん、忙しい薬剤師はあたしの相談に乗ってくれないのね。でも申し訳なくする新人君がなかなか可愛かったので許そう。私はSドラッグを出た。
三件目。М薬局。ここは小さな薬局でお客さんが少ない。店員さんもみんな手隙のようだし、もしかしたら込み入った話を出来るかもしれない。淡い期待を抱きつつ店員さんに声を掛ける。「無水エタノールか、イソプロピルアルコールはありますか」
背が低いおばちゃん薬剤師が対応してくれた。あった。無水エタノールがあった。どーん、と私の前に出されたのは、500mlの予想以上にでかい容器。でかい。こんなにいらん。
「もうすこし小さいのはないですか?」
「ないです」即答する薬剤師。……ないのか。今は藁をも掴む勢い。これを買うしかないのか……と覚悟を決めるあたし。値段を聞いてみた。「おいくらですか」即答する薬剤師。
「1200円です」
……高っっ!ちなみに200~300円くらいで買えると思っていた。ネット上にも100円くらいで売ってるよ、と書かれていたし。思わず苦笑してあたしは言った。
「高いなぁ……」
別にマケて欲しいから言ったんでは無い。ただ、流れとしてこう言ったのである。こういう場合、私の経験では店員さんからはこんな返事が返ってくる。「これが妥当な値段ですよ」「めったに売れない商品なので仕方ないですよ」そういうやり取りをして、それなら仕方ない、と買ってしまうのが消費者だと思う。しかし東京の薬剤師は違った。私の「高いなぁ」に対してこう言ったのだ。
「はぁ、」
ええー!予想以外の返答になんかキョドルあたし。「はぁ、」って言われたら、ここで会話終了ですよ?!ってか、なんやこの辱められた気分は?まるであたしが「負けてぇな、お願い」って言ったみたいな空気やん!
どうしよ、どうしよ。……気づいたらМ薬局を出ていた。
難しい、東京で買いもんって難しい。大阪の常識が感覚が、まったく通らない。
結局4件目のドラッグSで、なんとかイソプロピルアルコールを見つけ、500円で購入した。買えたけど、なんかどっと疲れが出て、ヘトヘトだ。でも名刺を印刷するという目的はまだ果たされていない。休む暇なんてない。手に入れた怪しい薬品を使って、プリンターのヘッドを洗浄した。分解して、詰まっている部分のインクを溶かして……一時間くらいかけて作業し、なんとか、完了!
いざ、印刷!
相棒がウィンウィンと動き出す。さっきより心なしか、軽快な音に聞こえる。
そして、出てきた名刺は……しましまだった!
……なんやねんっ!
悲しい、悲しすぎる……。頑張って苦労して買い物したのに、相棒は期待に応えてくれなかった。結局、名刺は作れずじまい。代替品として、大阪の時に使っていた名刺が数枚残っていたので、それを持っていくことになった。
はぁ……、東京ってホント大変よね。